講演内容とシンポジストの紹介

シンポジスト
河野 龍太郎 「医療におけるヒューマンエラー」

音成 佐代子 「自施設における医療安全管理の取り組みと心理学への期待」

山内 桂子 「医療事故防止に心理学はどのように貢献できるか」

司会・コーディネーター    松尾 太加志


 河野 龍太郎 氏   講演テーマ: 医療におけるヒューマンエラー
   (東京電力株式会社 技術開発研究所 ヒューマンファクターグループマネージャー)

 ヒューマンエラーを低減するためには、まず、ヒューマンエラーそのものについて理解しなければならない。筆者はこれまでたくさんの医療従事者と話をしたが、彼らは、ヒューマンエラーは当事者の不注意や意識の低下などで起こると考えてきたと思われる。しかし、心理学の成果を多く取り入れているヒューマンファクター工学の観点から見ると、この理解の仕方では不十分である。ヒューマンエラーとは、人間の行動がある許容された範囲から逸脱したものである。したがって、エラーを理解するためには、まず、人間の行動を理解しなければならない。
 心理学者のレビンは、人間の行動(B)は人間自身(P)と人間を取り巻く環境(E)との関数関係で決まるとして、B=f(P,E)という式で説明している。ここで重要なことは人間行動の形成に二つの変数があることである。すなわち、人間自身がどのような特性を持っているのか、そして、環境がどのような影響を人間に与えるのかを理解しなければならない。
 筆者は「ヒューマンエラーとは、人間が生まれながらに持つ諸特性と人間を取り巻く広義の環境により、ある行動が決定され、その行動がある許容範囲から逸脱したものである」と定義している。ヒューマンエラーは行動が決定された後、許容範囲との比較が行われるので、エラーからみるとすでに決まってしまったものが評価されるという意味で結果である。一方、システムにおける人間と環境の関係を表している医療用ヒューマンファクター工学の説明モデルがP-mSHELLモデルである(図1)。人間と周りの要素の関係を示し、中心の人間の持つ諸特性に周りの要素を適合させ、エラー誘発要因の少ない、扱いやすいシステムの構築を目指す人間中心の設計思想が示されている。
 ヒューマンファクター工学のエラー対策の考え方は、この人間の生まれながらの特性を無理に変えることは不可能か非常に困難なので、まず、それを受け入れ、その前提の下に、その特性がマイナスで現れないように、システムで対応する、というものである。筆者はシステム安全の考え方を参考にして、11ステップのエラー対策の発想手順(図2)を提案している。
 医療システムでエラーが多いのはエラーに対する理解が不十分であり、管理が不十分だからである。このため、エラー誘発要因が多く、かつ、エラー防御壁が少ないシステムとなっている。人間の介在の多いシステムでは徹底的なエラー管理をしなければならない。そのためには、まず、人間の基本特性である生理的身体的特性、心理的特性、認知的特性などを理解する必要がある。
図1 図2
図1 P-mSHELLモデル 図2 エラー対策の発想手順

河野 龍太郎 (東京電力株式会社 技術開発研究所ヒューマンファクターグループ マネージャー)
写真なし
 元航空管制官。航空管制業務中に航空機を衝突コースに誘導するというエラーを経験。エラー防止を目的に心理学を専攻。入社後は原子力発電プラントのヒューマンファクター(HF)の研究に従事。事故におけるHFの研究をライフワークとし、HF工学をベースとした体系的なヒューマンエラー対策を提案している。日本心理学会、日本人間工学会、航空運航システム研究会などの会員。主な著書に、
「医療におけるヒューマンエラー」(医学書院)、「医療安全への終わりなき挑戦」(エルゼビア・ジャパン)などがある。


 音成 佐代子 氏    講演テーマ: 自施設における医療安全管理の取り組みと心理学への期待
   (九州医療センター セーフティマネージャー)

 九州医療センターは病床数700床、職員数900名の高度総合診療施設である。医療安全管理部の方針は、@組織横断的な安全対策の実施A標準化等の推進B情報の管理と積極的な開示C職員に対する研修及び健康管理である。2004年度の医療安全管理目標を「医療安全文化の醸成(報告する文化・正義の文化・柔軟な文化・学習する文化)」として取り組んでいる。2004年度のインシデント(不適切行為が患者に及んだが患者に実害はなし)報告数は漸増しているがアクシデント(不適切行為が患者に及び患者に症状や治療が必要となる)報告数は減少している。(図1)このことからは報告する文化が根付き、ヒューマンエラーが発生しても事故に至らない仕組みが整ってきたと考える。
図1
 しかしながら、インシデント報告数が多い薬剤を見ると同じようなエラーが発生している。内容の多い順に@情報伝達エラーA準備中の中断やタイムプレッシャーによるエラーB薬剤名や患者名類似によるエラーC知識や技術の不足などである。それぞれの事例に対して改善策を講じても、又、別の場所で似たようなインシデント事例が発生する。これは、当院が実施している注意喚起のメールや視覚的ポスターや医療安全管理教育を継続していてもヒューマンエラーが減らない現実を物語っている。松尾先生が述べている外的手がかりの一つとして当院では、ダブルチェックの徹底やフルネーム呼称、患者さまご自身による名前の口述等を盛り込んだ注射実施フローチャートを作成し更に患者さまと共に薬剤確認等を行う患者参画の安全対策を実施した。7月と11月に注射準備・実施チェック表を元に自己評価・他者評価を行った結果、薬剤エラーインシデント数が一時的に減少した。(図2)ホーソン効果も考えられるが、ヒューマンエラー防止の為に試行錯誤の日々である。
図2
 人間は間違いを起こすことを前提に数々の防止策を講じてきたがこれ以上のエラー発生数の減は難しい状況にある。そこで、今までとは違った視点として心理学的根拠に基づいた安全対策を教えていただきたいと考えている。更に、心理学の研究結果を臨床現場に導入し、現場と研究者が協働した安全性に対する心理学的アプローチの実証が今後の安全管理には必要になると思われる。

音成 佐代子 (九州医療センター セーフティマネージャー)

音成写真
 1982年 福岡県私設病院協会専門学校看護学科卒業後、国立病院機構福岡東医療センターに就職。1999年 九州医療センター 看護師長・感染管理認定看護師を経て現職。


 山内 桂子 氏    講演テーマ: 医療事故防止に心理学はどのように貢献できるか
   (東京海上日動メディカルサービス株式会社 メディカルリスクマネジメント室 主席研究員)

 わが国では、医療事故防止が医療組織や医療者にとって重大な関心事となり解決すべき問題として語られるようになったのは1999年以降のことである。そのため他分野、たとえば鉄道や航空、原子力発電などと比較して、事故防止への心理学の知見や方法の活用は遅れてきたと言えるだろう。ここ数年、医療分野でも事故防止のための仕組み(例えば、病院内の安全管理委員会や事故報告制度や、全国的に事故報告を収集する事業など)が作られようになったが、「人」や「集団」についての研究は始まったばかりである。
【日本心理学会ワークショップ】
 私達は、1999年より今年9月までの間に、日本心理学会大会においてワークショップ「医療事故防止に心理学はどのように貢献できるか」を6回にわたって開催してきた。各回はそれぞれ「患者に学ぶ」「組織の安全文化」「薬剤の表示」などのテーマで、医師、看護師、弁護士、患者、薬剤メーカーなどを招いてそれぞれの立場からの話題提供をしていただいたり、心理学会研究者による研究報告を行ったりしてきた。
【今後の課題】
 これから心理学的に研究して医療の安全に役立てるべきテーマは、「事故の未然防止」と「事故後の適切な対処」の両方にわたる。人がエラーを起こすことを前提とした事故防止の仕組みを作ることが必要であるし、事故後に適切に対処することで事故の被害の拡大を防ぐとともに再発を防止することも重要である。さまざまな課題の中で、私は次の@〜Bに特に関心を持っている。今後これらの実践方法を開発し、事故防止効果を実証する心理学的研究が進められることを期待したい。
【@エラーを回復する医療者間のコミュニケーション】
 チームで仕事をする医療者間で、他のスタッフの間違いを指摘したり不明確な指示に対して確認したりするコミュニケーションには、相手との関係や場面によってはためらいが伴う。医療者自身がコミュニケーションを妨げる要因を自覚し、アサーティブなコミュニケーションのスキルを持つことで、チームによる事故の防止が促進できるだろう。
【A事故防止への患者の参加】
 患者が知識を持ち情報を得ることによって患者はエラーを発見し事故防止に貢献する資源となりうる。また、医療者が患者に十分に説明することは、医療者自身のエラー防止の効果も持つと考えられる。患者に効果的に情報を提供する方法の検討が必要である。
【B医療事故後の患者・家族と医療者へのサポート】
 医療事故後に患者・家族が望むのは事故に関する十分な説明と謝罪であるが、これまでは医療者にその必要性が認識されず、説明のスキルも乏しかった。また、事故に関わった医療者へのサポートも欠けていた。双方を適切にサポートして、患者・家族と医療者の両者が向きあう場を作ることができないだろうか。

山内 桂子 (東京海上日動メディカルサービス株式会社 メディカルリスクマネジメント室 主席研究員)
山内写真
 1977年九州大学教育学部教育心理学専攻卒業。2003年九州大学医学系学府大学院医療経営・管理学専攻修士課程修了。国立小倉病院附属看護学校非常勤講師,北九州市立女性センター心理相談員などを経て、2004年より現職。医療現場のコミュニケーションやソーシャルサポートの研究を行ってきた。現在,全国の病院のリスクマネジメント支援業務、院内研修講師などを務める。主な著書に
「医療事故―なぜ起こるのか、どうすれば防げるのか」(朝日新聞社)。


司会・コーディネーター
松尾 太加志  (北九州市立大学 文学部 教授)
松尾写真
 1988年九州大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程単位取得の上退学。早稲田電子専門学校福岡校・講師,佐賀女子短期大学・講師,北九州市立大学文学部助教授を経て現職。ヒューマンインタフェース,ヒューマンエラーの研究に従事。主要な著書に
「ヒューマンエラーの科学」(麗澤大学出版会),「コミュニケーションの心理学」(ナカニシヤ出版)などがある。