推薦図書
私が読んだ本の中から推薦できる図書を紹介しています
認知心理学関連
タイトル通りの本です.このような視点から絵画を見るのは斬新で,非常に面白い本でした.わかりやすく丁寧に説明されていおり,しかも大学の先生にありがちな論文調の説明ではなく,エッセイを読んでいるように,名画の魅力にも,そして心理学の魅力にも引き込まれます.絵に興味がある方,心理学に興味のある方,誰にでもお薦めの一冊です.
本の表題からすると,ちょっと軽い内容だと思ってしまいますが,副題にあるように歴とした注意研究に関する心理学の本です.注意についてこれほど素人にもわかりやすく書かれている本はないと思います.正直なところ,私も表面的にしか知らなかったことが深くわかるようになりました.注意の研究の流れに沿って紹介してあり,アイデアに富んださまざまな実験によって注意のしくみが明らかにされていく話からは,注意の研究の面白さが伝わってきます.
マジックとのつながりも,なるほどと思ってしまいます.表題から面白そうだと思って読むのにも,注意について勉強したいという人が読むのにも,心理学の研究の面白さを感じることができる珠玉の一冊です.
説明をする側は自分でわかっているため,説明を受ける人の立場になかなか立てないのです.本書で書かれていることは,説明を受ける人の立場に立つために具体的にどうすればいいのかということです.書かれている内容は特別なことではなく,よく考えてみれば当たり前のことかもしれません.ただし,ルールという形で明快に書かれていますので,それらを意識してプレゼンを行えばわかりやすく説明できるようになるでしょう.
実は,本書を手に取ったのは「おわりに」の内容が目にとまったからでした.必ずしもわかりやすい授業が本当によいことなのかという話です.過剰に分かりやすい授業は学生が自ら考える力を奪ってしまう可能性があるのではということです.
「説明」がどのような目的でなされるかによるのですが,理解するには説明を受動的に聞いてわかったということだけではなく,自分で考えていくプロセスも必要で,それを促すことが「説明」としてはいいことなのだろうと思います.
本書の原題は“The Invisible Gorilla”です.筆者らが認知心理学者ナイサーの実験の追試として行った有名な実験に由来しています.人は何かに注意を集中していると,目立つものが視野に入っていたとしてもそれに気づかないことがあるのです.錯覚は自分では気づいていないところに問題があります.自分では正しいと思い込んでいます.知覚レベルの錯覚はうまくデモンストレーションすることによって錯覚だったと気づくことはありますが,因果関係や記憶については思い込んでしまうとどうしようもありません.科学者でも間違った結論を出してしまうこともあります.
本書では,私たちの生活や社会の中で生じているさまざまな錯覚について取り上げ,それらが錯覚にすぎないということを具体例を挙げながら説明してくれています.しかも,錯覚なのかそうではないのかを科学的に実証するにはどのようにすべきなのかもきちんと説明しながら展開されています.
読み物としても非常に面白く,心理学を勉強する上でもお薦めの一冊です.
人間は物事を論理的に正確に判断できるわけではありません.いつも思い込みで判断しています.それは自分自身に対する「だまし」なのでしょう.しかし,その「だまし」ができるからこそ,人間は適応的に生きていくことができるのでしょう.
本書では,うつ病の話からオタクの話まで,認知心理学の分野におけるさまざまな実験結果をまじえながら,「だまし」というスキーマで上手く説明されています.認知心理学の勉強にもなりますし.人間の本質を考える上でもとてもよい本です.ぜひ読んでみてください.
西林先生の本だということで,すぐに買ってしまいました.さすがに,期待に違わず,うーんと唸らせる秀著です.この手の本の難しさは,適切な題材を示すことです.誰でも理解できる小学校の国語の教科書の文章を題材にしておられ,「わかったつもり」の説明が十分に納得のいく展開になっています.また,筆者の独断でわかったつもりを示すのではなく,授業で大学生に示して,実際にわかったつもりになることが多いというデータを示しておられるのは,脱帽です.
理解というのは,伝達される文章だけで決まるものではなく,受け手が知識をどのように使うかによって決まるということがよく納得できます.
文書は,ただ情報を伝えるだけではありません。広告や案内は「来てほしい」,「買ってほしい」,取扱説明書は「こう操作して欲しい」といったように,「○○して」欲しいという目的があるはずです。つまり「人を動かす」ことが目的で文書は書くわけです。そのためにどのようなことが重要なのかを例をあげながらわかりやすく説明されています。しかも,練習問題形式になっていますので,自分で文章を考えるという訓練になります。そのため,この本を読み終えた頃には,上手に文書が書けるようになっているはずです。
最後に心理学の用語集までついていますので,本文に出てきた言葉で専門的でわかりにくい言葉もわかるようになっています。
一昔前は,脳の話といえば,「△△の部位は○○と関係している」といった程度でしかありませんでした。心理学での話と脳科学の話は,点と点ではつながっているだけでした。しかし,最近の脳科学の進展は,心理学で語られていた話の生理学的根拠を脳の中に見ることができるようになっています。しかも,本書では,アフォーダンスや「心」の理論といった生理学的な説明とはほど遠いと思われるような理論まで,脳との関わりで説明されているのです。その話の展開は見事です。
しかし,このような話も批判的に見ると,「錬心術」にすぎないのではないかとも思われます。それは筆者自身も述べています。ただ,それを恐れずに言い切ってしまうところに脳の世界のロマンがあるのでしょう。
人間は合理的に論理的な判断ができると思われがちです。もちろん,いつも正しい判断ができるわけではなく,間違いを犯すこともあるとも思われています。しかし,実際には,人間は決して論理的ではありません。人間の推論プロセスの基本は,「論理的判断が基本にあって,時々間違う」ではなく,「直観的な判断でかなりうまくでき,それが間違うリスクも伴っている」と考えたほうがいいのです。本書では,心理実験でよくとりあげられる論理的過誤の代表的な問題に対して,非常にわかりやすく説明されています。
また,本書の副題に「認知心理学への招待」とありますように,認知心理学の面白さに引き込まれてしまいます。ぜひ,読んでみてください。
学習するというのは,覚えることだと思ってしまいがちです。そのため,覚える量が少ないほうがいい,つまり,学習する(情報の)量が少ないほうがいいと勘違いしてしまいます。教科書は薄く,教える内容も削減したほうが,みんなが理解できていいのではと。それが間違っているというのが,この本の主旨です。
私たちが理解するというのは,機械的に覚えることではありません。機械的に覚えるのならば,情報が少ないほうが覚えられるでしょう。しかし,理解とは機械的に覚えることではなく,有意味化することなのです。有意味化するためには,多くの情報を必要とします。断片的な情報だけで理解しようとしても,理解できません。全体の情報,つまり,多くの情報があってはじめて理解できるのです。
新しい学習要領で内容が削減されてしまっていますが,断片的に内容が削減されてしまうと逆効果です。あるひとつのことを理解するには,多くのことを知ったほうが理解が早いのです。量を減らしてもダメです。質を上げないといけないのですが,質をあげるためには,ある程度の量が必要なのです。
西林先生の本は,本書に限らす,わかりやすくとても理解しやすいです。この本を読んでいると,「なるほど,なるほど」と思ってしまいます。きちんと有意味化させてくれるように,丁寧に説明されているからです。ぜひ読んでみてください。
「連想」というキーワードから,心理学の多くのトピックが展開されています。こんな話まで「連想」の話になるのかと感心させられてしまいます。心理学の中でも相容れない分野だと思われていたものも,うまく話が結びついています。それは,海保先生の連想のなせる技なのでしょう。
人間の人間たる由縁は,論理にとらわれずに,いろいろ連想が及ぶことだと思います。最近,ロジカルシンキングが流行ですが,論理だと思っているものも,単なる連想のひとつにすぎないのかもしれません。連想によって,私たちの思考や行動が豊かになっていくのです。この本を読むと,その術を学ぶことができるでしょう。
この本は,ありきたりの動機づけの心理学の本とはちょっと違います。最初のほうでは,心理学における動機づけの考え方をわかりやすくまとめてあります。これだけでも十分に読む価値はあると思うのですが,その後,筆者の二要因モデルを紹介し,実際的な問題として,どうすれば学ぶ意欲が出てくるようになるのかを,議論していく展開となっています。その議論はユニークで,筆者自身の考えを独断的に読者に押し付けるのではなく,異なった視点を持った2人との討論が進められていくのです。
動機づけの心理学の勉強になるだけでなく,どうすれば意欲が出てくるのかの示唆が与えられる一冊です。
この本は,冤罪事件をとりあげ,なぜ無実の人がうその自白をしてしまうのかということを心理学的にアプローチした本です。本書を読んで,3つの点で興味深かったです。まず,取り調べという状況がいかに異常な状況であるかということです。肉体的拷問はないものの,精神的拷問といっていいほどの状況だということです。無実であるのに,強盗や殺人のような重罪を認めしてしまうには,取り調べという状況から早く逃れたいという心理が強く働いているからにほかならないでしょう。
次に,なぜ自白が虚偽だと見抜けないかということです。人間は,自分の信念にあった情報だけを判断材料にしてしまい,自分の考えに合わない情報は都合のいいように解釈をして無視してしまいます。意識的というよりも,自動的にそうしてしまうといったほうがいいでしょう。取調官は,この人が犯人だと思い込んでいますから,客観的な証拠と異なった供述をしたときに,無実から出たウソとは思わずに,犯人が勘違いしているとか,わざと混乱させていると解釈してしまうのです。この本では述べられていませんが,いわゆる確証バイアスが働いているのです。
3番目に感じたのは,法の世界の論理が人間の営みとは独立したところで論議されてしまう悲しさです。たとえば,科学捜査と言うと,いかにも客観的な気がしますが,要は捜査側に都合のいい結果を出すための手段にしか使われておらず,むしろ非科学的です。しかも,それは物的証拠を対象としたもので,供述調書の作成過程や自白の過程には科学のメスは入っていません。そこに立ち入ることができる科学は心理学のはずです。著者は,捜査や裁判なども人間の現象であり,心理学の大事な領域であると述べています。
直感や勘というのは,意識することなく瞬時になされ,正しい判断ができます。しかし,なぜそのひらめきが的確なのかは,うまく説明できません。ただし,脳の神経回路網のメカニズムとして,その振舞いは説明することができます。私たちは意識はしていないけれども,脳の中で,それが生じているということ,つまり,実際に「脳で考えている」ことはわかるのです。
一方,意識の過程は,脳の中の機構ではうまく説明できません。言語を使って思考するなどという過程は,どうも脳の中だけで閉じた世界ではないようです。脳は,外界に表象化されている事柄を操作しているにすぎないのです。そういう意味では,「脳は考えていない」のです。
無意識の過程と意識の過程,それをコネクショニズムと古典的計算主義,構文論的構造の有無,そして,「考える脳」と「考えない脳」という,二分法で本書は説明されています。日常的な具体例をあげてあるのため,とてもわかりやすく,しかも,どっちつかずのあいまいさがないため,非常に明快です。心とは何か,脳と心はどうかかわるのかといった問題に関心がある方は,ぜひ読んでみてください。
知的活動というと,脳の中の世界のことだと思ってしまいます。「頭がいい」という言葉が表わすように,知性は脳の中で作られるような印象を抱いてしまいます。しかし,脳の中の活動は,脳の中で閉じたものではなく,外界との関わりの中で生れてくるものです。その関わりは,眼や耳を通して受動的に入ってくる情報と関わるのではなく,私たちが手足を使って外の世界と能動的に関わることです。手足や体を動かすことが知性を生み出すためにはとても大切なことなのです。しかも,その行動は決して目的があるわけではないのです。地球上のひとつの生物として,日常の生活の中の出会いから,多様な知性が出てくるのです。
脳の中の活動だけを真似するだけでは,知的ロボットを作ることがだめだということがわかってきました。人間は,機械ではなく,自然界に生きる存在であるのです。それを忘れてしまうと,心理学もまったく無意味なものになってしまいます。そのようなことを感じさせる新鮮な一冊です。
秋月りすさんの四コマ漫画「OL進化論」を題材に,クリティカルシンキングの考え方がうまく説明されています。日常的な場面の状況を文章だけで表現するのには限界があります。しかし,このような漫画を使うことによって,場面の状況がすぐに頭の中に入っていきます。そのため,とてもわかりやすく読みやすい本になっています。
ただ,紙面の都合で説明の部分が少なく不十分な点もあるかもしれません。そのように感じた方は,下に紹介した「クリティカルシンキング入門編・実践編」を読んでみましょう。
「クリティカルシンキング」は,あえて訳すと,「批判的思考」となります。ただし,このことばだけでは,「クリティカルシンキング」をうまく言い表されていません。私たちは,自分の考えや他者からの意見を,無批判に受け入れてしまうことがあります。人間は思い込みの動物ですから,こうだと思ったら,他が見えなくなってしまいます。客観的な判断が必要とされるときには,これでは困るのです。誤解や偏見を生んでしまいます。そこで,懐疑的な姿勢を持ち,客観的に物事を見ることをやってみようということです。しかし,ただ「客観的にやろう」という掛け声だけでは何もできません。
そこで,大事なのは,人間は,自分の考えや他者の意見を無批判に受け入れてしまいがちであるということに気づくことです。それを常に意識していれば,誤解や偏見もなくなるはずです。本書では,なぜ,人間が無批判に自分の考えや他者の意見を受け入れてしまうのかについて,豊富な事例をもとに心理学的に解明しています。人間の思考過程の中の主観的な思い込みに至る過程を見事に説明してくれています。そして,クリティカル(批判的)に考えることを心がけましょうということです。
クリティカルシンキングの考え方は,近年,看護の現場で活用されています。看護婦さんは,患者にどのような処置をすべきかの判断いつも迫られています。緊急の判断を要するため,いろいろな可能性があるにもかかわらず,ある病状だと思い込んだり,誤まった処置を選択してしまうこともありえます。しかし,看護の現場では過ちは許されません。過った処置をしてしまうと,とんでもないことになりかねません。常に,看護婦さんは,誤診はしていないか,正しい処置なのかを自分でクリティカルに考えながらやっていく必要があるのです。
私たちの日常の生活の中にも,クリティカルに考えなければならない場面はたくさんあります。論文やレポートを書くときに誤まった論理で書いてしまうことがありませんか? 議論のすえ到達した結論がよく考えると不合理な結論になっていませんか? ひょっとすると,人生の選択に間違いをおかしてしまっているかもしれません。
この本は,心理学の入門書としても位置づけていいと思います。人間が偏った思考をしてしまうのは,人間の行動(心?)の特徴です。本書では,その特徴を心理学の知見にしたがって見事に説明してくれます。したがって,この本を読むことによって,心理学のさまざまなトピックを知ることができます。一般の入門書は,実験や調査の結果についての説明に終わっていたりしますが,本書では日常的な例をとってわかりやすく書いてあります。下手な心理学のテキストを読むよりも面白いですし,理解も数段いいと思います。
この本は翻訳本なのですが,日本語版向けにかなりの部分を書き換えてあり,訳本にありがちな翻訳口調をまったく感じることなく読むことができます。
わかりやすく人に伝えることは,非常に難しいことです。会話,文章,掲示物など,どれでもそうです。しかし,実際にはわかりやすさが疎かにされているのが現実です。この本では,そのような実例を多くあげならが,どうすればわかりやすくなるかを説明されています。わかりやすく人に伝えることは,認知心理学的にも興味深いものがあります。この本の筆者は心理学の専門家ではありませんが,心理学的知見からも納得のいく議論がされております。認知心理学の応用的な本としてみてもよいですし,実用書として読まれてもいいと思います。
見事に「わかる」ということを認知心理学的に説明しています。非常にわかりやすく、説得力があります。この手の本では、専門家にしかわからない本しかなかったり、一般向けの本では物足りなかったりしたものでした。この本は、一般の人が読んでも十分に手応えがあります。そして、よくわかるのです。ぜひ読んでください。
書くんだったら、こんな本を書かないといけないと思いました。そして、私が書いたのが、「コミュニケーションの心理学」でした。西林先生の域には到底達していませんが、「わかる」ということを書こうと思った本です。