推薦図書

私が読んだ本の中から推薦できる図書を紹介しています

健康


  • 大櫛陽一 2007 メタボの罠−「病人」にされる健康な人々− 角川SSC新書 720円
     2008年度から始まった特定健診・特定保健指導制度.その中でも注目されているのがメタボリックシンドロームです.メタボの基準としてウエスト周囲径が「男性85センチ以上,女性90センチ以上」となっています.素人が考えても,男性のほうが値が小さいのは不自然です.諸外国の基準と比べても,男性のほうの基準が小さいのは日本だけです.そのカラクリを本書では指摘しています.
     その基となっている論文があるのですが,オリジナル論文を読んでみると,専門的なところはわからないまでもデータ分析のやり方が稚拙で,男性のほうのウエストの基準値が小さい結果を出してしまったところで,何かおかしいと気づくはずなのに,なぜそんなことに気づかなかったのか不思議でなりません.そんな論文を掲載してしまう学会もおそまつです.そして,そんな基準値によって日本国民がメタボに翻弄されてしまうのです.

  • 泉嗣彦 2005 医師がすすめるウオーキング 集英社新書 660円
     ウオーキングって,なかなか長続きしないものです。朝や夕方にウオーキングの時間をとるのも大変ですし,脂肪を燃焼させるためには,有酸素運動で,10分以上継続して早足で歩かないといけないなどと言われると,長続きできないものです.
     本書で筆者は,ライフスタイルウオーキングを提唱しています。家事や買い物などの日常的ないろいろな活動の中で歩くという動作はかなりあり,そういった中で少しずつ歩くことを増やしていけばいいのです.1日万歩を歩くことを目標にすればよいということです.私は,本書を読んで万歩計を買ってしまいました.数値で目標が出てくるとそれが強化刺激となって歩こうという気を起こしてくれます.

  • 杉田聡 2001 クルマを捨てて歩く! 講談社+α新書 780円
     クルマは便利です。でも,便利であるが故に失っているものもたくさんあります。クルマを使わなくなって,筆者が得ることができたことが実体験として描かれています。手作りのよさが見直されるように,クルマを使っての移動ではなく,自分の足で移動することがどれだけ人間らしいかを教えてくれます。
     さらに,クルマ社会の問題点も本書では指摘されています。私たちはクルマ優先の社会を当然だと思ってしまっています。しかし,クルマ中心から歩行者中心に見方を変えたとき,今のクルマ優先社会がいかに異常であるのかがよくわかってきます。
     大気汚染,騒音,道路整備による環境悪化,交通事故死。今,社会で問題になっている原発,ダイオキシン,遺伝子組換え,環境ホルモンなどのどれと比べても,クルマのもたらす問題のほうが深刻であるはずです。でも,便利であるが故に誰も声高に叫ぼうとしないのです。

  • 米山公啓 2000 「健康」という病 集英社新書 660円
     健康は,医者の判断によるもの,健康診断や人間ドックで出された数値で絶対的に判断されるものではないということです。私たちは,数値で表されるもの,医者の診断といった他者からの健康指標に頼りがちです。すべてが正常となって健康でなくてはならないような呪縛に捕われてしまっています。
     体にいいとかやせるとか,人から言われると何でもとびついてしまう。一方,ちょっとでも有害だと言われると,金科玉条のごとく絶対にダメだと否定してしまう。リスクゼロということが世の中にないように,絶対的健康というのはありえないのです。絶対的健康を追い求めていくことがいかに不健康で,そのこと自体が「病」であることに気づかないといけないのです。持病を持っていても,それと向き合って自分なりの生き方をできることのほうがいかに健康であるのか,考えさせる本でした。若い人にはピンとこないかもしれませんが,読んでみる価値のある本だと思います。
     ちなみに,同じ著者の「大学病院の不健康な医者たち」(新潮OH!文庫)も面白かったです。

  • 藤田紘一郎 1999 清潔はビョーキだ 朝日新聞社 1,400円
     面白かったです。日本人の「超清潔志向」が,人間と共生をしてきた寄生虫や細菌類まで排除するようになり,それがアレルギー性疾患や様々な病気を引き起こすようになったという話です。専門家が書いた本ですから,非常に説得力があります。
     よく言われることですが,現代社会は,いろいろな意味で耐性がなくなってしまっています。きたないもの,いやなもの,面倒なものはすべて排除してしまおうという傾向があります。それは,モノだけではなく,社会の制度やしくみもそうですし,人の関わりにおいてもそうです。好きなもの,楽なもの,自由なものとしか関わりをもたなくなってしまっています。文字通り,無菌室での純粋培養で生きていくだけで,人間が,自然界における生物として生きることをやめてしまっているようなところがあります。そのため,非常に弱い人間ができてしまい,何か事が起ったときにどう対処していいのかわからず,アレルギーを起こしてしまい,社会の中で生きていけなくなってしまっているのです。
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