推薦図書
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2022年8月、小倉の旦過市場が火災にみまわれ、老舗の映画館・昭和館も焼失してしまった。今や映画はシネコンやサブスクの時代となり、もはや街の映画館の再建は難しいのではと思っていた。それが、2023年12月に奇跡の復活をすることになった。その復活までの道のりを昭和館・館主の樋口さん自身が綴った本である。
若い頃、映画は映画館で見るものだった。今のようにシネコンがなかったので、どの映画館もそれぞれの趣きをもっていた。見た映画の内容は忘れてしまっても、映画館の雰囲気や自分がどの辺りに座ったかなどが思い出される。話題の新作を封切り直後に見に行って、立ち見で見たこともあった。広い映画館に観客が数えるほどのときもあった。
旧いものが見直されつつある。そして、それを支えてくれる多くの人がいる。その支援のもと、昭和館が再生する。ただ、再生への道のりは平坦なものではなかった。館主の樋口さんのさまざまな思いが伝わる本である。
学生が特殊詐欺に関わったという話をよく耳にします。なんでそんなことするのだろうと思っていましたが、本書を読んでなるほどと思いました。経済的に恵まれていない学生は少なくありません。SNSでのバイトの誘いに簡単に乗ってしまい、一旦沼に入ってしまうと抜けられなくなってしまうのです。そして、警察に捕まってしまうのは、末端で捨て駒として使われている闇バイトに関わった者だけで、それを操っている悪の根源はなかなか捕まらない構図となっています。
本書では、被害に遭う人たちのことも書かれています。被害に遭わないために何を心掛ければよいのかが本書を読んでいてわかるのですが、巧妙化された手口では、だまされていると自分ではわからず冷静な判断ができなくなってしまうのでしょう。
闇バイト、詐欺の被害者、いずれも弱い立場の人間を食いものにする悪がはびこる世の中には、やるせない気持ちになってしまいます。
著者から寄贈いただいた本ですが、廣末さんだからこそ著すことができたお薦めの本です。
本書は、『人新世の「資本論」』を批判するような形で書かれています。実際のところ、どちらが正しいのかはわからないのですが、ここまで完膚なきまでに論破されると読んでいて痛快さを感じます。
小学6年生の頃、東西冷戦真っ只中だった(と思う)のですが、私はなぜかソ連派でした。社会主義で皆が平等になるほうがいいと思っていたのです。小学生の坊主が考えることですから明確な根拠もなく、ひねくれ者だったからかもしれません。
しかし、その後、やっぱり資本主義のほうが豊かになると考えるようになり、中学生の頃は、小さな政府であるべきだと考えていたように思います。ソ連が崩壊し、ベルリンの壁がなくなるなど、歴史的事実として社会主義は成功していません。プーチンのウクライナ侵攻は最後のあがきにさえ見えてきます。
読んでみると、面白い本です。
天才的な音楽家の私生活は破天荒だ。ややステレオタイプだが、才能もない凡人のやっかみかもしれない。優れた才能を持った人でもどこかにアラがあると思いたい。でもそれが逆に遠い存在だと思われる音楽家を身近に感じられるから不思議だ。
本書でユニークなのは、取り上げた音楽のQRコードが付されていて、サブスクからすぐに聴くことができる点だ。クラシックの名曲もこうして聴いてみると新鮮な感覚になる。
本書は「クラシック音楽家のやばすぎる人生」を描いているが、面白いのはその文章表現だ。軽妙なテンポで、次から次へと機関銃のように裏表のない赤裸々な表現が飛んでくる。他人のスキャンダルはメシウマかもしれない。文春砲も真っ青だ。でも、そこには稀代の音楽家に対するリスペクトがある。その破天荒な生き方がなければ数々の名曲は生まれなかったかもしれない。
この推薦文は本書の表現に倣って書いてみた。むずかしい。もう限界だ。だんだん息苦しくなってきた。とにかく面白いので一読あれ。
著者自身の半生を語りながら、その生き方が哲学的にどう解釈されるのか、また、著者自身が哲学に出会って絶望から救われたことが語られています。
哲学は、抽象的な記述だけだと難解でわかりにくくなってしまいます。事例がないとわからないのですが、哲学は人の生き方に関わるものですから、断片的な事例の紹介だけではピンときません。ある一人の生涯を通してみていく必要があります。本書は、著者自身の人生と重ね合わせながら、しかも自分自身で語られていますので、哲学について説明も納得しやすく、非常にわかりやすいものとなっています。
著者は小説家も志したことがあるということですので、文章は巧みであり、自叙伝的な面白さと哲学に対する入門理解の両方を合わせ持った一冊です。
昔、高齢者は少なく弱者であった時代に制度化された年金、健保、賃金体系が、今の高齢化社会には合わなくなってしまったということです。確かに、高齢者の中には高額所得者もいますし、元気で働ける人もいます。そして、年金や健保を支えているのは、人口比で少ない現役世代の若い人たちです。高齢者に手厚い制度であることが逆に若い人への負担を大きくしてしまっています。
このままだと、年金も健保も制度崩壊するかもしれません。しかし、制度を変えようにも、高齢者が増えてしまった今、有権者の数が多く投票率も高い高齢者に不利になるような制度設計を政治が本気で取り組む姿勢がみられません。こういったシルバー民主主義の抱える問題は、本書で取り上げている問題だけではないかもしれません。日本の将来を考える上で、根本的に考えなければならない問題でしょう。
自分自身で考えたことも外から得た情報も自分にとって都合のいい内容であれば、信じ切ってしまいます。しかし、一歩引いて考えたときに、それが客観的に見て合理性があるのかどうか考えてみる必要があります。そのときにどのような観点から考えるべきかを整理され、非常にわかりやすく読みやすく書かれています。とくに、類似の書ではなかなか触れられないリスクに関わることもしっかりと書かれています。医学の世界ではリスクが必ず存在するわけで、著者ならではの内容となっています。
ただ、「京大医学部で教える」というには、内容が入門的すぎて、本当に大学で教えるならもっと深い内容ではないかと思ってしまいました。推測ですが、京大の医学部の先生の著書なので、出版社から売れるようにと思ってタイトルについて注文があったのかもしれません。本書は、2012年に単行本として出版された書籍の文庫版です。
税金に興味があったわけではなく、著者の先生から献本をいただいたので、読んでみました。堅苦しい内容かと思っていたのですが、非常にわかりやすく書かれており、税金について大変勉強になりました。現行の税制の説明だけではなく、その問題点も丁寧に説明されております。時代の変化に対応する、不公平感がないようにする、租税回避行為を防ぐ、税収を減らしたくない、といったいろいろな思惑から複雑な税制になっているようで、なかなか悩ましいところであるようですが、庶民の立場になっての解説で、すらすらと読めました。
トップとしては,現場のことを知ることが大切ですし,一方で,バックヤードで働く人も,直接お客さんと触れる機会があることも大切です。自分に与えられた役割の中だけで仕事をしても,それが現場でどうなっているのか,そして最終的にお客さんにはどう繋がっているのかわかりません。それがわかることが仕事への意欲を高めることになるのだと思います。この程度の会社の規模だからできることもあるかもしれません。いずれにしても,社員・社長の情熱が伝わってくる内容です。
補助金をもらって,駅前に建物を建てるだけではうまくいかないのは,よくわかります。それを維持するほうにコストがかかってしまい,地方の活性化にはつながりません。国の施策は,常にそんな感じで,最初はお金を出すけど,後は自分たちでとなります。補助金欲しさに飛びつき,分不相応の補助金で大きな建物や事業をやってしまうと,それを維持するのに後で痛い目を見てしまうというストーリーです。そういう実態が地方が消滅してしまうように見えてしまうのでしょう。分相応に地道にやっていくことが結局は成功の鍵だということでしょう。
いろいろな意見があるかと思いますが,地方活性化や行政の施策の問題を考えるには読んでみて損はないと思います。
私たちは,物事を理解しようとするとき,ある程度道筋や枠組みを想定します。それを私自身はメンタルモデルと呼んでいるのですが,本書で「物語」としているものは,そのメンタルモデルに近いものがあります。本書ではいろいろな書物を例に出して,丁寧に論じてあります。
私たちの理解は,どのような「物語」を描くかによってその理解が異なってしまいます。本書に対する評価もそうです。本書をどのような「物語」で読むかによって,すぐれた内容だと感じる人もいるでしょうし,大した内容ではないと感じる人もいるでしょう。本書の著者は心理学者ではありませんが,人の理解過程を認知心理学的な観点から見ると,本書に書かれている内容は非常に興味深い内容になっています。
どのような観点から読むべきかを強制するものではないですが,お薦めの本です。
ネット上には,ニュースなのか何なのかわからない情報が蔓延しています。また,同じ内容について書かれていても,書き手の視点が異なると,まったく違う内容になってしまうことも少なくありません。とくに,他者の発言の一部だけを切り取って文脈を無視して主張しようとする輩もいます。何が正しくて何が正しくないのかについて,読み手が直接調べることは容易ではありません。
本書では,どうすればよいのか具体的に示してくれています。たとえば,書き手がどれほど信用できる者であるのか,書かれた内容のソースが明確に示してあるのかどうかといった点は,ネット上で自分でもある程度調べることもできます。また,賛成意見も反対意見も読んでみることも大切だと書かれています。この点は,私自身耳が痛いところで,どうしても自分の考えにあった本や記事だけを読んで留飲を下げるようになってしまいがちです。本書では,いろいろ勉強になることが書かれてあり,各章の終わりに重要なポイントが箇条書きで整理されていて,非常に読みやすくなっています。
インドについて私はほとんど知りませんでした.まだ貧困にあえいでいる人々が多くいるのに対して,一方でIT大国となり,優秀な人材を世界に送り出しているのです.著者は,その違いを「古いインド」と「新しいインド」と表現していました.インドにおいて世界で活躍できるかどうかは英語ができるかどうかが大きな鍵になっているようです.日本でも英語教育の強化(?)が進められていますが,どうもグローバル人材育成で猫も杓子も踊らされてしまっている感があります.
著者が卒業したインド工科大学がインドで活躍する人材の多くを輩出していることが語られています.ただ,大学だけが教育を担うわけではなく,初等教育から地道に整備していった教育環境が今のインドを作っているのでしょう.まだ「古いインド」のほうがインドに占める割合は圧倒的に高いようですが,潜在的には飛躍的な発展を遂げる可能性を秘めているように思えました.
STAP細胞の件が話題になって出版されたのだろうと思います.バイオ研究の現状について,私たちの知らない過酷な現場がよく見えてきます.研究の大変さはどの領域でも同じで生命科学だけではないのでしょうが,研究を行うのに莫大な費用がかかってしまう生命科学の分野は,国の予算の問題など,ただ大変ということだけでは片づけられないようです.さらに,いつも言われることですが,論文至上主義が研究不正を生じさせてしまう温床となっていることも考えさせられるところです.
タイムリーな話題であり,興味深い一冊です.
私はこれまでにミステリ小説は読んだことがないような気がします.本学で行われたビブリオバトルで学生さんが紹介してくれた本で,私にも読めそうだと思ったので,読んでみたのです.読み始めは文章の波長が合わないなと思って,何度も止めようかと思ったのですが,読み進めていくうちに面白くなり,次はどんな謎ときが出てくるかなとワクワクしてきました.最後の展開も意外性があり読後感も爽快でした.
本書ではなぜ疑似科学が生みだされるのかを心理学的な観点から論じており,さらに,心理学そのものも疑似科学ではないのかという点についても論じています.疑似科学に関する本はいろいろありますが,他の類書とは一線を画した興味深い内容です.
疑似科学で問題になるのは,主張されている現象が確証バイアスによるものであって,科学的に妥当な方法で検証されていない点です.確証バイアスとは自分の主張に都合がよいデータだけに注目してしまうバイアスです.ただし,確証バイアスは人間であれば誰しも起こしてしまう心理的な特性です.科学者であってもそうです.
科学の中でも心理学という学問は,非科学的だと思われてしまうことがあります.主として人間の行動を現象として取り扱うため,主観的な解釈になり,確証バイアスに陥りやすいのです.そのため,心理学は確証バイアスに陥らないように他の科学以上に厳密な方法論を採ることに神経を注いでいます.
さらに,各学会では論文掲載の審査制度がありますから,チェックがかかります.私も論文のレフェリーを務めることもあり,中には内容がひどいものに遭遇したことも何度かあります.ただし,これは心理学が科学的でないということではなく,誰しも自分の考えを主張したいため確証バイアスを起こしてしまうからです.それは人間の心理的特性であり,避けることはできません.心理学以外の科学でも同じようなことは起きてしまいます.そこで,このようなチェック制度があるからこそ,科学として認められるのです.
本書の最後では,疑似科学は科学的には合理的ではないが,目的合理性があることも否定していません.本書の姿勢が感情的に疑似科学を断罪していくのではなく,論理的に中立的な立場を保ちながら科学的に丁寧に論じてあることの表れでもあります.
本書では,ここでは紹介した以外にもいろいろな論点から論じられており,科学とは何かを考える上に非常に有益な内容です.心理学を専門としようとしている人にはぜひ読んでほしい一冊です.
読み手の立場を考えて文章を書くという姿勢がしっかりと出ています.書き手が陥りやすいのは,伝えようとしている事柄を書き手はすでに知っているのだが読み手は知らないということに気がつかないことです.書き手はすでに知っているのでわかりにくい文章を書いても,すでにメンタルモデルができあがっているから,十分にわかるのです.でも,何も知らない読み手にはそれがわからないということに書き手が気がつかないのです.このようなことは言われればそうだと思うのですが,いざ文章を書くときにどうすればいいかという回答にはなっていません.
本書は,具体的にどうすればよいのかを7つのポイントで明快に示してくれています.これらのポイントは読み手のメンタルモデルを考えたときに理にかなっています.総論で書き始めるとか,要約文で始めるというのはメンタルモデルの構築につながりますし,既知から未知の流れも,当たり前のことではあるのですが,読み手のメンタルモデルを考える上で重要なことです.
そして,本書の中で繰り返し出てくることで印象的だったのが,読み手は全部読まないということです.ここまで言い切れるのは,本書が読み手の立場をよく考えているという証でもあります.ぜひ,本書を手にして上手な文章を書けるようになりましょう.
今の世の中はとても豊かで便利になっています.しかし,便利になればなるほど,便利さを享受する一方でリスクが必ず存在するのです.ただ「怖い」という感覚だけでリスクを避けてしまうと,便利さを放棄することでは済まされない新たなリスクに曝されてしまうことに気がつかなければならないでしょう.
本書は,ベル研究所の研究者の超電導に関する研究の論文捏造事件を追ったNHKの番組を元に書き下ろした本です.本書で描かれている論文捏造は,エラーに気づかず,事故に至ってしまう構図によく似ています.人は正常性バイアスが働き,まさかエラーや捏造が起こっているとは思わないため,何かおかしいと思っても,好意的に解釈をしてしまい,エラーではないと思ったり,捏造ではないと考えてしまいます.後になってみれば,不自然な点がいつくもあったことがわかるのですが,エラーではない,不正ではないと思っていると,それらの不自然さに気づかないのです.
本来は,チェック機能を果たすべきジャーナルの論文の査読者もそれを見抜けなかったことは残念なことですが,そこには査読制度の限界があるように思えます.科学の世界が純粋な真実の追求ではなく,研究業績という目先の利益に歪められてしまって,本当によい研究がなされなくなってしまっているようにも感じています.
最近テレビをほとんど見なくなりました.そのため,情報に疎くなったこともありますが,テレビをだらだら見ることもなくなり,時間を有効に使えているように思えます.テレビが視聴者に与える影響は大きいのですが,映像を使ってセンセーショナルに描きだすことに主眼が置かれしまっています.どのような伝え方をするとどのような影響を及ぼすかをTV局が真剣に考えているとはまったく思えません.本書ではテレビのもたらすデメリットをいろいろ紹介しています.中には賛同できない意見もありますが,興味深い内容になっています.
何が疑似科学で何が疑似科学でないのかは非常に難しい問題です.自分では絶対正しいと思っていることも,思い込みに過ぎず,間違っている可能性だってあるのです.私が疑似科学でないと思っていることも他者から見ると疑似科学かもしれません.心理学も下手をすると疑似科学に陥りやすい学問です.いずれにしても,絶対的な基準はあり得ないということです.本書でも「私の言うことを100%信用していただかない方が無難かもしれない」と謙虚に述べています.
ただ,信じるのか信じないのかといっただけで済むならば問題はないのですが,重要な行動の選択を迫られる場合,疑似科学の言い分に嵌ってしまってはとんでもないことになりかねません.環境問題や食の問題のような複雑な要因が関わっている場合,どの説が正しいかの判断は非常に難しいところです.著者は,予防措置原則に従うべきだと述べていますが,そうするとリスクがあるといった説のほうが常に選択される可能性もあり,難しいところです.どこまでのリスクなら許容できるのかという判断も必要でしょう.
何が疑似科学なのかは永遠に解決できない課題なのでしょう.本書を読むといっそうその難しさを感じてしまいますが,難しいと感じることが第一歩なのでしょう.
Texは,インターネットでいろいろなファイルをダウンロードして,インストールすること自体が面倒です.パソコンが壊れて再インストールしなければいけなくなったのですが,インストールの手順を思い出したり,どこかのサイトを調べたりするのが大変で,ずっとやっていませんでした.でも,この本の付録のCD-ROMを使うとあっという間でした.これから,Texをやってみようという人には,とても便利な本です.
日垣さんの著書は,いつも歯に衣着せぬ語りで,溜飲が下がることもあります。中には,私と意見を異にすることもありますが,考え方が完全に一致してしまうほうが奇異でしょう。今回の本で興味深かったのは,「安全性のウソ」です。リスクゼロを求めてしまう狂気をするどく指摘しています。
気軽に読める本ですので,読んで見てください。
リサイクルとは環境にいいことだと思ってしまいがちです。モノをそのままセカンドユースとして使う場合はいいでしょうが,原材料を取り出して別の製品を作ってしまうようなリサイクルではかえって環境に優しくないということがよくわかりました。言われてみれば当たり前のことですが,材料を取り出すには,物質の分離だけではなく運搬に伴うエネルギーも必要とするわけであって,そのエネルギー消費はかえって環境に優しくないのです。これまで,再生紙は価格は高いけど,リサイクル商品で環境に優しいから使うべきだと思っていたのですが,価格が「高い」ということは,それだけ多くのエネルギーを消費してしまっているということなんですね。
環境保護というのが意外に自己満足で終わってしまっているところがあって,ほんとうに環境のためになっているのかどうかは,きちんと検証してみないといけないことがたくさんありそうです。
私は,アポロの月面着陸をテレビでリアルタイムに見ました。もちろん,そのときは,真実であり,疑ってはいません。今でも,ウソではないだろうと思っています。しかし,私たちが自分で見たこと聞いたことはすべて真実だというのは,思い込みにすぎないことがあります。人間は自分の結論に都合のいいところだけを見たり聞いたりして,自分の結論の確証を得ようとします。月面着陸の話も,ウソだと思ってみれば,疑わしい事実がたくさん出てきて,ウソだと結論づけることもできます。
自分が正しいと思っていることの多くは思い込みにすぎないということ,そして,物事を客観的に見るには,まったく正反対の立場からも考えてみることが大事なのです。
本書は読むだけで面白い本です。あっという間に読んでしまいます。
人間は必ず失敗をするものです。失敗をただ悪いこととして,もみ消してしまうと進歩しません。かえって,また大きな失敗をしてしまうものです。企業がマスコミで取り上げられてしまうほど大きな問題を引き起こしてしまうケースがあります。これらは,小さな失敗をうやむやにしてしまったツケがまわってきているのです。
筆者は,マクドナルドでのクレーム処理の経験から,クレームにどう対処すべきかを説いています。クレームを受けたということは,自分たちで改善点を見つけなくても,改善すべきところを教えてもらったと,前向きに考えることが大切です。失敗からどう改善に結びつけていくのか,そこにビジネスチャンスもあるのだと思います。
「パラサイト・シングル」という言葉を生んだ筆者が,その後のパラサイト社会を考察しています。今の若い世代の生き方,家族のありようがデータに基づいて考察されています。細かくトピックに分けて書いてあり,読みやすくもあり,面白い本です。
最近の大学では,入学式や卒業式にも親がノコノコ出てきます。大学も,新入生に手取り足取りで,学生の成績を親に送付することまで当然のこととしてやっています。こうすることによって,表面的には,大学のドロップアップが防げ,就職率も上がるかもしれません。
しかし,一方で,すべてのレールを大人が敷いてしまうと,若者はいつまでたっても自立できません。「やりたいことを見つけている」という大義名分のもとにいつまでも何もしない若者,すぐに仕事をやめてしまう若者。結果的に自立できない学生を生み出していることになりはしないではないでしょうか。
今の若者がひ弱になったのではなく,学校とそれを取り巻く環境が作り出した構造的な問題だと認識しなければなりません。本書は,今の若者が直面している構造的問題に鋭くメスを入れた秀逸の一冊です。
最近,うちの大学で,マナーアップキャンペーンと称して,昼休みと夕方に喫煙マナーとゴミの分別を呼びかける放送が流れています。大きなお世話であり,せっかくの昼休みにうるさくて,みんな不満だらけです。
巷には,こんな儀式化された言葉があふれかえっています。儀式の挨拶がそうであるように,マニュアル化された店員の言葉,巷にあふれる標語,注意を呼びかける放送など。いずれも,話をするほうは満足しているのですが,聞かされるほうはたまったものではありません。
でも,こういうことは,私たちが作ってしまった<対話>のない社会のせいなのかもしれません。ここでの対話とは,ソクラテス=プラトン的対話です。おしゃべりではありません。自分の考えをきちんと言語化して主張するということです。日本人は,主張しないことや言わないことが,「思いやり」や「やさしさ」だと思っています。これは,日本の文化であり,よい面もあるでしょうが,言葉できちんと主張をしないと,言葉で表現されたものが単なる飾りになってしまいます。
中島さんの歯に衣着せぬ論調は痛快でもあります。ぜひ,読んでみてください。
成果に応じて賃金を決めるというのは,一見合理的に見えます。しかし,所詮,アメとムチの論理にすぎず,仕事に対するモチベーションを上げるものではありません。そして,一見客観的に思える成果を正確に測定する指標が存在しないのも問題です。成果主義といっても,本当に個人の能力を判断するのは難しいのです。その不完全な指標をお金に置き換えようとするところに,成果主義に対する不満が出てきます。
「人はパンのみにて生きるにあらず」と言われるように,仕事に対して積極的に取り組もうという姿勢は,お金ではないのです。利潤追求であるはずの企業経営においてもそうなのです。最近,大学を取り巻く環境も,業績による評価によって任期制や年俸制を導入しようとするところが増えてきています。早くその誤りに気づかないととんでもないことになってしまうでしょう。
本書は,心理学の動機づけの理論や社会的ジレンマの理論に裏打ちされています。心理学的アプローチの重要性を認識させられる本です。経営学者が書いた本ですが,組織心理学とか経営心理学の本といったほうがいいのかもしれません。お勧めの一冊です。
動物であれ人間であれ,自分に見えている世界がすべてではありません。真の世界と比較すると,それはイリュージョンなのです。科学の力によって,客観的な環境世界の記述ができるようになってきましたが,その記述も,その時点では客観的だと思われているだけで,ひとつのイリュージョンにすぎません。人間は,さまざまな知識を持つことによって,自分には見えていない世界を観念的に理解することができるようになりましたが,それとて,やっぱりイリュージョンです。
本書は,知覚の話,動物行動学の話,科学の話,哲学の話,進化論の話,いろんなことを考えさせられる本です。動物の行動の話を読むだけでも面白い本で,気軽に読むことができます。ぜひ読んでみてください。
心理学をやっていると,「心」はあるのかなんていうことは,あまり考えないかもしれません。本書では,改めて,「心」とは何かを考えるにはよい本だと思います。とくに,本書ではヴィットゲンシュタインの考え方をわかりやすく説明しています。ヴィットゲンシュタインの言語ゲームの考え方などは,表面的にはわかるのですが,なかなか理解するのが難しいです。しかし,本書では,人物像などを紹介して理解しやすくなっています。
「わかる」というプロセスの出発点は「わからない」です。本書では,セーターの編み方の本の執筆,美術番組の制作,古文の現代語訳の3つの体験を通して,どうやって「わからない」から「わかる」になっていったかが書かれています。「わからない」からどうやって「わかる」になるのかが「わかる」ということです。そういう意味では,本書は,どうすれば「わかる」ようになったのかのプロセスを描いた本ということになるでしょう。
人間は、一度わかってしまうと、わからない人の気持ちがわからなくなることがあります。なぜ、こんな簡単なことがわからないのだろう。あるいは、こうすればわかるはずなのに、なんでこんなことをしているのだろうと。そのため、わかりやすく伝えるということが、「わかる」人にはできなくなってしまうのです。「わからない」人のほうが、わかりやすく伝えることが長けていることがあります。「わからない」人は、どこがわからないのかがよくわかっているので、こういう説明じゃないとわからないはずだということがわかるわけです。「わかる」人は、わかりきっているから、こんな説明で大丈夫だと思い込んでしまうのですが、それだと「わからない」人にはわからないのです。
ここまで書いてきてしまうと、この文章の内容自体が、「わからない」人にはわからない文章になっているような気がします。私自身がここで書きたいことの内容をわかっている人だからでしょう。ここでの私の感想を読むよりも、とにかく、本書を読んでください。
ベストセラー「買ってはいけない」を糾弾した「『買ってはいけない』は嘘である」を収録した文庫本です。「買ってはいけない」で書かれている科学的事実が誤謬であったり,動物実験の結果を拡大解釈したりして,危険であることを論じている点をあげて,「嘘である」と筆者は論じています。どの科学的事実が正しいのかは,判断できませんが,世の中にはリスクがないものなどないわけですから,少しでもリスクが存在したことに対して「買ってはいけない」と言ってしまうのは言いすぎでしょう。
そして,買ってはいけないかどうかのその議論自体の信憑性にもリスクがあることを考えなければならないでしょう。どちらの立場の意見も100%絶対に正しいという保証は与えられないのですから,一方の意見だけを諸手を上げて賛成することは,賛成意見のリスクを無視してしまっているか,反対意見のリスクを拡大解釈してしまっているかのどちらかです。二者択一的に,買っていいのか買ってはいけないかと議論してしまうことに矛盾が生じてしまうのでしょう。
「週刊こどもニュース」のお父さん役の池上彰さんの本です。わかりやすく伝えるためには,決して話術といったテクニックを習得することではありません。聞き手の立場に立つことができれば,誰にでもわかりやすく伝えることができます。でも,それができないから苦労するのですが,そのためにどうすればいいのかということがこの本を読むとよくわかってきます。
直接見ることのできない視聴者の立場に立って番組作りをしている人ならでは語りには,その苦労がわかると同時に,その話には,とても納得させられます。
「やりたいことを見つけるもっとも確実な方法は,いまやっていること,いま与えられている仕事,課題を全力でやることである」。やりたいことを見つけているという大義名分のもと,何もせずに,すべてを先送りにしてしまう人がいます。
卒論のテーマを決めるときなども,指導をしていて,一番困るのは,「今検討している」とか「自分がやりたいことと違うようだ」ということで何もやらない学生がいることです。とりあえず,何かを決めて,手をつけないと,やってみないと,まったく先に進まないのです。
考えるよりも何かをやってみることのほうがうまくいくことのほうが多いのです。これは心理学的(というより人類学的?社会学的?)に考えても,そうなのです。人間は,何かプランを立ててうまく事をこなしているかのように思われてしまうことがありますが,実際にはそうではなく,状況に応じて場当たり的に行動をする動物なのです。人間は,「へたの考え休むに似たり」なのです。
将棋界のことを知らない人にはわからないと思いますが,羽生さんが前人未踏の7タイトルを獲得したとき,谷川時代の終焉を告げるものだと将棋ファンの多くは確信したことでしょう。しかし,谷川さんは復活したのです。7タイトルの中でも最も権威あるとされた名人と竜王のタイトルを奪還したのです。
将棋とは不思議な世界です。すべての組み合わせの手を考えれば,どちらが勝つかはわかっているのです。「将棋の神様」はそれを知っているでしょう。近い将来,コンピュータの性能がさらに進歩すると,その答えを出してくれるかもしれません。しかし,将棋という勝負がなくなるわけではありません。理詰めだけでは解せない何かがあるのです。
認知科学では,人間を情報処理のマシンだと考え,人間の知的活動を解明しようとしてきました。しかし,それは暗礁に乗り上げてしまいました。将棋の局面を見て頭に浮かぶ候補手は,プロ棋士であれば大差ありません。でも,その中のどの手を指すのかがプロの中での優劣をつけるのです。ところが,それは,将棋という盤面だけの閉じた世界では解明できないのです。その人の経験,生き方など将棋とは関係ない世界の出来事が,その人をして,ある手を指させるのでしょう。それが解明できないと,人の心はわからないのかもしれません。でも,それは,科学ではまだまだ手の届かないところにあるのです。その重要性をこの本では改めて感じさせてくれるのです。
この本を読んでいると,大学も特別なところではないということがわかります。駄目な人間や駄目な組織は,どこにでもある話で大学だけが特別ではありません。むしろ,問題を抱えていない大学はないと言ったほうがいいでしょう。その点,うちの大学は公立大学なので恵まれているほうだと思います。学生の質もよく,きちんと勉強してくれます(中にはそうでない学生もいます)。もちろん,隣りの芝生は青く見えてしまうのですが...
こういう本を読んで,ワイドショーのコメンテーターになってはいけないと思います。学生は,大学の授業に真剣に取り組んでもらいたいと思いますし,教員も自分の権利だけを主張していてはいけないでしょう。私も,自己評価のために,このホームページで情報を提供することにしています。研究業績や授業評価などを公開することで,自分の努力不足をチェックするようにしています。
タイトルのインパクトに比べると,書いてある内容は,ごく当り前のことです。子育てをきちんとしないといけないということです。ただし,そのアプローチが脳科学に基いていることが新鮮です。南伸坊さんとの対話形式で書かれていますので,とてもわかりやすく書かれています。気軽に読める本です。
ステロイド剤の副作用が,アトピー性皮膚炎の治療に対するステロイド使用への不安を高めています。しかし,これは,マスコミなどが副作用を引き起こした少数の事例だけをとりあげて,ステロイド・バッシングを行なってしまった結果です。実際には,適切な量のステロイドを使用すれば,アトピーは治るということです。
そのステロイドに対する不信から,民間の治療ビジネス(アトピービジネス)が勢力を増してきました。その治療法を開始して,実際によくなったケースもあるようです。しかし,それは,以前の誤まった治療法を中止したために良くなったり,単に自然治癒力によって寛解しただけであって,実際には治癒効果がないにも関わらず,その治療法が効果的であったと錯誤してしまっているにすぎないのです。
一方で,科学的根拠のないこれらの治療法によって悪化している事例もたくさんあるのです。しかし,その療法を信じている人は,以前使っていたステロイドによる「リバウンド」だと片づけてしまったり,一時的に悪化して次によくなる「好転現象」だと信じてしまっています。そして,表に出てくるのは,「よくなった」という少数の事例だけ。それによって,多くの人が騙されているのです。マインドコントロールといってもいいでしょう。
人間は,思い込みで行動してしまいます。少数の事例だけでそれがすべてであるかのように印象づけられたり,勝手に因果関係を解釈したりして,正しい判断を見失ってしまいます。心理学的には,このような思い込みによる錯誤判断を「認知的バイアス」といったりします。とくに,病気に関連すると,人は不安になりやすく,認知的バイアスを引き起こしやすいものです。
この本は,アトピーやステロイドに関する正しい理解をする上で役立つ本です。不適切な療法による怖さもわかってきます。さらに,社会の中で認知的バイアスがいかにして形成されていくのかということに関して,心理学的に非常に興味深かった本です。
調査データというと,どこか科学的な響きがあって,客観的なものだと思われがちです。しかし,中にはうさんくさいものも少なくはありません。いい加減なやり方でなされた調査は少なくありません。そのような調査データを元に,自分の言いたいことを主張する輩(学者,マスコミ,社会運動家)が多くいるのです。表に出てくるのは調査結果だけで,どのような方法でなされ,どのような分析がなされたかわからないまま,科学的な裏付けとして誤まった調査データが利用されてしまっています。私たちは,それを見抜く目(リサーチ・リテラシー)を養う必要があります。調査データにはいかに「ウソ」があるかということが,この本を読んでいくとよくわかります。
さらに,卒論などで自分たちが調査を行なう場合,どのような方法論をとるべきかを勉強するのにも,とても役立ちます。一般向けの本ですから,統計の話はでてきません。実例をもとにわかりやすく説明をしてありますから,数学が苦手な人にも読める本です。誤まったデータを取らないための調査の基本的な考えを学習することができます。お薦めの本です。
このような問題は,調査だけではなく,実験についても言えることです。人間関係学科の学生さんはぜひ読んでください。
心理学の本ではないのですが,いい本でした。難病ネフローゼを患いながら将棋の名人位をめざし続け,29年の生涯を閉じた村山聖八段の軌跡を描いた本です。病気に体を虫食まれながらも,這うようにして盤の前に座り,12時間以上に及ぶ対戦をこなし,A級(プロ棋士の中での最上位リーグ)までに登りつめた。その壮絶さは,小説やドラマではありそうなストーリーなのですが,現実の世界での話として存在していたということは,驚異です。
ここまで純粋に将棋に情熱を燃やし名人位をめざしたその生き方には感動といった一言では片づけられない凄さがあります。将棋を知らない人でも,ぜひ読んでほしい本です。
この本の中でも紹介されていますが,村山さんの師匠の森信雄さんは,阪神大震災で当時17歳だった弟子の船越くんを亡くしています。たまたま,彼の実家が私の実家の近くだったということもあって,その船越くんのことを書いた本「棋士になりたい」も読んだことがありました。若き棋士の卵を失い,そして,また親子以上の関係だった村山さんを失った森さんの心情も,はかりしれないものがあります。